2019年2月16日 PJA NEWS)

中国が少数民族へ「串焼き」拷問、動画も流出し非難殺到!世界的な問題に

中国が新疆ウイグル自治区などで少数民族であるウイグル族に対して行っている虐待等行為が、世界的な批判を集めています。

この新疆ウイグル自治区の「再教育施設」における少数民族への虐待等については、昨年の2018年に国連が中国政府に対し調査を要求しており、世界的にも大きなニュースになっています。タイでも国連の動きは以下のニュースなどでも報道されており、問題となっています。

MGR Online)国連が、中国の「再教育施設」へ調査を要求 (2018年12月16日) <タイ語のニュースです>
https://mgronline.com/around/detail/9610000121607

ウイグル族と同じイスラム系民族の国家であるトルコ政府も、先週の2019年2月9日に中国政府による「再教育施設」での少数民族への虐待等を「人類の重大な恥だ」とする声明を発表し、中国を非難しています。

これら国連やトルコ政府からの非難に対し、中国政府は「虚言だ」と反論、拷問や虐待の事実を否定しています。

そんな中、この中国による少数民族への拷問を裏付ける、「再教育施設」での拷問の様子を写したとされる動画が流出する事件が発生しました。この事件については台湾メディアの「自由時報」が今月10日に伝えています。

自由時報)中国政府が少数民族に行う「串焼きの刑」に世界が驚愕(2019年2月10日) <中国語のニュースです>
https://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/2694842

上記自由時報の報道によると、この動画は中国の新疆ウイグル自治区を脱してトルコにたどり着いた東トルキスタン人がFacebookに投稿したものです。

(流出した、新疆ウイグル自治区で少数民族に行われている拷問の様子、同Facebookより)

動画を見ると、「再教育施設」の中に入れられた少数民族は青い囚人服を着せられて、拷問器具に拘束されています。

「再教育施設」の刑務官は「お前は規則に違反した、処罰を始める!」と中国語でいうと、刑務官は拷問器具を操作して回転させ、嫌な轟音が響き渡ります。少数民族の人が苦しんで声をあげると、刑務官は「あぁ!?」と脅すように言い、さらに回転速度を上げています。

本記事執筆時点の2019年2月16日において、上記の台湾の自由時報の記事ではこの動画が閲覧できなくなってしまっていますので、以下に流出したFacebookの動画そのものへのリンクを掲載します。これは上記の東トルキスタン人がFacebookに投稿している動画そのものへのリンクで、残虐なシーンを含む動画となりますので、これを見られるかどうかは読者御自身で判断されて下さい。

残虐な動画のため閲覧注意:上記の東トルキスタン人がFacebookに投稿している動画へのリンク
https://www.facebook.com/Eynekhaber/videos/377803779715416/?t=14

この動画の流出は、世界的なニュースとなっています。

この動画を見た中華系の人々からはコメントで「まるで串焼きみたいだ」というコメントなどが寄せられています。一方、トルコ人など、この少数民族と同じイスラム系民族の人々からは「アラーは彼ら(中国政府)を滅ぼすだろう」「中国を破滅させるための、大自然の力が起きて欲しい」といったコメントが多数寄せられており、対中感情が急激に悪化しています。

同問題については、ウイグル人の有名な音楽家のHeyit氏も中国の新疆ウイグル自治区の同「再教育施設」という名の監獄で殺されたと見られており、以下のように世界的な問題となっています。東トルキスタンでは推定約100万人が中国政府により、言論の自由は勿論、身体の自由も奪われ、「再教育」という名の虐待、虐殺の対象となっていると言われています。

これらはタイでも以下のように報道されており、中国による少数民族への虐待は大きな問題となっています。

MSN配信タイニュース)<2019年2月13日>
https://www.msn.com/th-th/news/world/%E0%B8%88%E0%B8%B5%E0%B8%99%E0%B8%95%E0%B8%AD%E0%B8%81%E0%B8%81%E0%B8%A5%E0%B8%B1%E0%B8%9A%E0%B8%95%E0%B8%B8%E0%B8%A3%E0%B8%81%E0%B8%B5%E0%B9%80%E0%B8%A3%E0%B8%B7%E0%B9%88%E0%B8%AD%E0%B8%87%E0%B8%81%E0%B8%B2%E0%B8%A3%E0%B8%95%E0%B8%B2%E0%B8%A2%E0%B8%82%E0%B8%AD%E0%B8%87%E0%B8%A8%E0%B8%B4%E0%B8%A5%E0%B8%9B%E0%B8%B4%E0%B8%99%E0%B8%8A%E0%B8%B2%E0%B8%A7%E0%B8%AD%E0%B8%B8%E0%B8%A2%E0%B8%81%E0%B8%B9%E0%B8%A3%E0%B9%8C/ar-BBTsWaO

昨日のPJA NEWSでも報じた通り、タイ政府は現在、中国政府と高速鉄道建設なども進め、中国との関係を深めています。

PJAニュース過去記事)タイ高速鉄道:中国とのナコンラチャシマ路線、交渉大詰め (2019年2月15日)

タイ高速鉄道:中国とのナコンラチャシマ路線、交渉大詰め

しかしながら、現在の中国共産党政府は、そもそも民主主義などない独裁国家であり、さらに中国国内の少数民族への「再教育」という名の虐待を行っているとされ、その証拠として拷問の動画まで広がっている政府です。

その中国政府と経済的な取り組みを進める前に、まず中国政府による少数民族への虐待、虐殺を止めさせる事が、良識ある国家の人道的な対応の基本として必要なのではないでしょうか。もちろん、これは我が国の日本も同じです。

「困っていると知りながら助けを求められるのを待っている人間は、助けを断るのと同じくらい冷酷である。」

(ダンテ・アリギエーリ イタリア・フィレンツェ出身の哲学者、詩人<1265~1321年>)

これはPJAニュースの以下の過去記事でも取り上げたダンテ・アリギエーリの言葉ですが、人道の基本となる姿勢が表されていると思います。

(*)PJAニュース過去記事)2019年1月11日より
https://pattayaja.com/2019/01/11/pja-news%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E8%B1%AA%E3%81%AE%E4%BC%9A%E8%A6%8B%E3%81%A7%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%83/

ナチスドイツによるユダヤ人への民族的な虐待、虐殺が、現代では人道上、絶対に許されない世界共通の事件となっているのと同じで、特定の少数民族への虐待や虐殺が人道的に許されるわけなどなく、中国政府による少数民族への虐待、虐殺行為を止める取り組みは、タイや日本を含む全ての良識ある民主主義国家に求められています。

PJAニュースの以下の過去記事でも書いた通り、日本は第二次世界大戦の戦前や戦中に、ユダヤ人への民族的な虐待や虐殺を行うナチスドイツを非難し、その保護をしてきた歴史のある国です。

タイでも中国の同問題が本動画流出事件もあってより一層クローズアップされる現在、タイも日本も含めて、良識ある民主主義国家の国々は、中国の少数民族への虐待、虐殺を止めるための取り組みを真摯に行う事が求められています。

 

(参考、PJAニュース過去記事)タイで拘束中のバーレーン選手「送還しないで」と訴え(2019年2月5日)

タイで拘束中のバーレーン選手「送還しないで」と訴え

(上記PJAニュース過去記事より引用 戦前、戦中の日本によるユダヤ人保護の取り組みについて)

この言葉は、第二次大戦の時代にリトアニアで人道支援の為に、独断でユダヤ人に多数の「命のビザ」を発給した杉原千畝のものです。

「恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。それは何よりも昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。

私も何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか。

苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。」(*)

(*)杉原千畝の「命のビザ」と、第二次世界大戦時の日本のユダヤ難民への人道支援

杉原千畝の「命のビザ」の話は、現在は世界的に有名な、人道支援の鏡というべき日本人の実話です。

第二次世界大戦当時の1940年、ナチスドイツからの迫害から逃れて膨大な数のユダヤ人難民がリトアニアなどに押し寄せていました。ユダヤ人難民たちは、同地のカナウスにあった日本領事館に、ソ連、満州国を経由して亡命することを希望して、その通行許可であるビザの発給を求めました。しかし当時の日本の外務省は同盟国であるナチスドイツに配慮し、ビザの発給を拒否する方針を取っていました。

この膨大なユダヤ難民の窮状を見て、日本の東京の方針に逆らって、独断でビザを発給したのが外交官の杉原千畝です。

杉原夫人は当時、難民たちの内にいた憔悴する子供の姿に目をとめたときに、

「町のかどで、飢えて、息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ」

という「旧約の預言者エレミアの『哀歌』が突然心に浮かんだ。」といいます。

そして「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」という杉原の問いかけに、「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうしてあげて下さい」と同意したそうです。

そして杉原は苦悩の末に、東京の外務省本省の訓命に反し、「人道上、どうしても拒否できない」という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても独断で通過査証を発給、リトアニアを離れるまで発給を続けました。このようにして杉原から命のビザをもらってリトアニアを脱出したユダヤ人難民の多くは、当時のシベリア鉄道を経由して脱出することになります。

この時代、それより2年も前の1938年に、満州国とソ連の国境の町のオトポールでも、ナチスドイツに迫害されたユダヤ難民が押し寄せる事件がありました。のちに「オトポール事件」と呼ばれる事件です。ここでは日本陸軍の樋口季一郎少将がユダヤ難民の窮状を見て、ユダヤ難民を保護して、満州国内への入植や、松岡洋右満州鉄道総裁に直談判をしてまで列車を手配して上海疎開へ移動させる手配する英断を下しました。

これに対しナチスドイツは日本に猛抗議を行い、ナチスドイツの外相から日本に抗議文が送られ、日本陸軍内部でも樋口への批判が高まりました。そして樋口は日本陸軍の関東軍から説明を求められますが、それに対して述べた樋口の言葉が以下のものです。

「小官は小官のとった行為を決して間違ったものではないと信じるものです。

満州国は日本の属国でもないし、いわんやドイツの属国でもないはずである。法治国家として、当然とるべきことをしたにすぎない。たとえドイツが日本の盟邦であり、ユダヤ民族抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない」

(樋口季一郎、1938年 関東軍指令植田謙吉大将への書面より)

また、樋口は陸軍の上司であった関東軍参謀長の東条英機に呼び出されますが、そこでも樋口は同様の説明を行い「ヒットラーのお先棒を担いで、弱者を虐げる事が正しいとお思いか」と問いただします。

東条は納得し、「樋口君、よく言ってくれた。君の主張する事は、筋がとおっとる。私も中央に、この問題は不問に付すように伝えておこう」と言ったといいます。

こうして日本政府はユダヤ難民の保護や救済について、ナチスドイツに対し「当然なる人道上の配慮」だとして抗議を受け付けませんでした。

このオトポール事件の2年後の1940年にリトアニアで起きたのが、外務省の外交官だった杉原千畝の命のビザの発給です。

このように当時の日本には、人道支援において後世の歴史にも大きく名を残すほどの貢献を行うことができた人物が複数もいたのです。

Wikipedia)杉原千畝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

Wikipedia)樋口季一郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%AD%A3%E4%B8%

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