2020年6月4日 PJA NEWS)

今日は1942年のミッドウェー海戦の日、米海軍の記録映像等動画(動画付き)

今日の6月4日は、第二次世界大戦中の1942年、日本海軍と米海軍の間での重要なターニングポイントとなる戦いとなったミッドウェー海戦の始まった日です。

1942年6月4日~7日に行われたミッドウェー海戦(6月4日はアメリカ標準時、日本時間では6月5日)。

その前月にあたる1942年5月4日~8日、世界初の空母艦隊同士の戦いとなった「珊瑚海海戦」が行われ、その一か月に行われたのがミッドウェー海戦でした。

(珊瑚海海戦について説明した前回記事)
1942年の珊瑚海海戦を伝える、米軍の記録映像動画(動画付き)
https://pattayaja.com/2020/05/20/11485/

前月の1942年5月の珊瑚海海戦で、日本軍は軽空母の祥鳳が撃沈され、正規空母の翔鶴が大破しました。

この海戦の結果、日本軍はポートモレスビーの攻略を実現できなくなり、オーストラリアの分断に失敗しました。また、この後の同年6月5日~7日のミッドウェー海戦に、正規空母の翔鶴、瑞鶴が戦列に加われなくなったという影響も出ました。

この結果、日本軍はミッドウェー海戦に翔鶴、瑞鶴を除く、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の正規空母4隻を投入したのです。

一方の米軍は、珊瑚海海戦で正規空母のレキシントンが撃沈され、正規空母のヨークタウンが中破の被害を受けました。

しかしながら中破したヨークタウンは真珠湾に寄港し応急修理を必死に行い、ミッドウェー海戦に出撃してきました。

この緊急修理の期間の米空母ヨークタウン(USS Yorktown (CV5))の姿が以下のものです。

(1942年5月
ハワイ真珠湾基地にて
修理中のUSS Yorktown (CV5)
写真:米海軍太平洋艦隊)

この結果、米海軍は正規空母エンタープライズ、ホーネット、そしてヨークタウンの3隻で日本海軍を迎え撃ちます。

こうして行われたのがミッドウェー海戦です。

Wikipedia)ミッドウェー海戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6

詳細な記録は上記のWikipediaなどに詳しく書かれていますが、この海戦で日本海軍は正規空母4隻を失い、太平洋戦争で初となる「大敗」を喫しました。

このミッドウェー海戦により日米の戦いは大きなターニングポイントを迎え、日本軍は劣勢となっていきます。

このミッドウェー海戦は日本でも重要な戦いとして研究されてきた戦いです。

米軍でも、珊瑚海海戦と同様に、同時期の重要な戦いとして取り上げられる戦いで、戦いの始まった日や前後には記録映像などを使った動画などが公開されます。

そして今年、米海軍太平洋艦隊の公開した、記録映像なども使ったミッドウェー海戦を紹介する動画がこちら。

動画の中では、ミッドウェー海戦の概要とポイントが米軍側の視点で的確に描かれています。

日本軍側は、米軍側の空母艦隊の出撃は無いと思いこんで慢心し、ミッドウェー基地への爆撃を2度にわたり実施しようとしていました。

この間に米軍空母は、日本軍の空母を攻撃することができたのです。

日本軍側は、米海軍の急降下爆撃により「運命の5分間」と呼ばれる攻撃で、正規空母の「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の3隻を一気に失います。

唯一残った正規空母「飛龍」は反撃に転じ、なんとか応急修理後に出撃していたヨークタウンを撃沈しますが、その「飛龍」も米軍の反撃で撃沈され、日本軍は空母4隻を失う大敗を喫したのです。

このミッドウェー海戦、日本では空母艦隊の運用の問題や、上層部が米軍の空母艦隊が出撃してこないと慢心した問題など、多くの問題を抱えています。

それらも勿論正しいと思うのですが、本当の敗因は「運命の5分間」にあるのではなく、世界初の空母艦隊同士の戦いとなった「珊瑚海海戦」から、情報が命であると学び対応した米軍と、単に指揮官が無能だという程度にしか考えなかった日本軍の、わずか一か月の間の分析と対応の大きな差、これが敗因となったと思います

日本は、珊瑚海海戦からミッドウェー海戦の間の一か月のうちに、情報収集の徹底を学ぶことが必要でした。その上で分析をまともに行い、そもそも命令系統の不統一や運用の問題など多数の問題を学び改良する事も必要でした。

ところが、戦略的な対応能力の乏しい日本軍の組織は、ミッドウェー海戦の準備が忙しいという理由で、肝心の分析も十分にせずにいました。そして珊瑚海海戦はローカルな戦いと位置づけ、珊瑚海海戦の敗因は、日本海軍の第四艦隊司令長官だった井上成美中将の能力面の問題だとされ、そしてミッドウェー海戦で大敗を喫し、ターニングポイントを迎えました。

この後は、本来は日米の戦いは日本側は、短期決戦で有利な内容で講和に持ち込むはずだったのですが、その戦略性も失われ長期戦となり、日本は国力でも圧倒されて、敗北が終戦まで続く事になります。

日米の違いを見てみると、日本軍の組織において、戦略性が弱いのがよくわかる戦いでもありました。

日本軍資料によると、日本軍はミッドウェー海戦で負けてから、ようやく教訓として「今後の作戦に当たっての索敵の強化・集合分散配備に対する柔軟性、急速なる飛行機発進の必要性」等を重視するようになるのですが、そもそも短期決戦を目指した戦いの日米戦においては、時既に遅かったのです。

このような戦略性の弱さは当時から続く日本的な組織の特徴ともいえ、この問題を表す海戦の記録は、その前後の戦史を含めて、教訓を今に伝えてくれていると感じます。

過去記事)

1942年の珊瑚海海戦を伝える、米軍の記録映像動画(動画付き)
https://pattayaja.com/2020/05/20/11485/

コラム)タイでは皆知っている日本人”小堀”のルーツとなった実話とは!?
https://pattayaja.com/2017/10/29/168/

タイ)ラチャブリ―で第二次大戦時の不発弾発見、避難命令検討
https://pattayaja.com/2019/06/10/5007/

バンコク)記念日に日本製SLが運行!記念日の歴史とは?(動画付き)
https://pattayaja.com/2019/10/23/7186/

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